やるかやらないかだけなんだよね。
わたし、めちゃくちゃイタイくらい生意気で役に立たない社員だったなぁと思う。
もちろん正義感たっぷりだったけど。
雇われていながら反骨精神むき出しで、上司に批判的っていう時間が長かったなー。
独立を考え出したのも、長いものに巻かれない自分が良いと思っていたからだしね。
処理能力は高かったし、「どうしてそうなっているのか?」という状況把握には長けてた。
でも、良くない状況から抜け出すためのアクションとしては弱くて、アイディアも乏しかったし、強いこと平気で言いながらもびっくりするくらいに動けてなかった。
解決策を出せる人が文句を言うのは、カッコいい。
でも、解決策がない人の言う文句は、正しかろうが文字通り「文句でしかない」と、いまは思う。
大きな勘違いをしていたわたしは、八方塞がりになっている状況からの斜め上のアイディアを出せないのに、ぐうの音も出ないような相手の核心に迫り、そこを責める能力だけを磨いてしまっていた。
例にもれず、いまの会社の上司のこともズタボロに責めた。
本当に、本当に、大嫌いだった。
「部下が仕事をやりやすくするのが、上司の役割なのに、あの人は上の機嫌ばかり伺っていて、動かない。マネジメントどころでない。出来ない理由を並べてやらないだけじゃないか。」
そんな風に、批判していた。
「部下が仕事をやりやすくするのが上司の役割」って、あんた何様??って感じだけどね(笑)
最近、一緒に働いている先輩でゆいさんという人がいる。
この人を見て、わたしは自分の姿勢がいかにイタかったを思い知らされるのだ。
ゆいさんは、動きが悪かったわたしたちの課に現れた救世主だった。
出来ない理由ばかりを並べてちっとも動かない上司から鮮やかに仕事を取り上げて、あーっという間に形にして結果を出してしまった。
しかも楽しげに!
彼女の仕事は、社員を喜ばせ、メディアに取り上げられ、外部指標の認定にも認められてしまう。もう、びっくりするくらいの注目度なのだ
しかも、たいそうな難しいことではなくて、すぐ横に落ちている小さなチャンスを拾って大切に育てるみたいなことで。
楽しく拾って、前向きに表現するような、誰もが真似しやすい範囲なのだ。センスは問われますがね。
異動してきた当初、出来ない上司をわたしと同じように批判していたけど、文句を言うだけじゃなくて解決策を考えて、やってしまったのだ。
しかも、ひとりでじゃなくて、わたしのことも、すごくうまく使ってくれた。
そして、「これは二人の成果だ」と言ってくれる。
成果が出たした頃、上司はゆいさんの手柄を取り上げて、乗っかり商法みたいに自分の手柄にしようとしてたけど、そんなのはすぐに化けの皮が剥がれて、彼はじきに課長を下ろされてしまった(笑)
そんな元課長は、然るべき仕事を振られて、いまでは意外にのびのびとやっていて、みんなが平和だ。下されたなんて表現したけど、そんなこと思ってないのかも。いまの方が表情がとても柔らかい!
ゆいさんの言うことがまた、シンプルでカッコいい。結果出してるのにえらぶらない。
「仕事って、やるかやらないか、それだけなんだよね」
最初は悔しかったけど、じきに感動に変わり、ゆいさんと一緒に働けることを誇りに思うようになった。いまでは大好きで、仲良し。
ゆいさんとわたし、なにが違うんだろうと毎日観察していた。
みてる視点が違うんだ。
わたしはどうしても、どうして進まないか、どんな状況になっているのかの分析に走る傾向がある。
そして、その能力は確かにすごく長けてる。
でもね、それだと今日までにあったことを意識してしまって現状から抜け出せないっていうループになっちゃうんだよね。
でもね、ゆいさんは、今日までを無視して、どうしたら出来るかを常に考えてるんだよね。
一緒に仕事をしながら、「明日が決まってないって幸せ!わたしは明日が決まってたら死んじゃうもの。」って言ってたの。
そうなの、彼女は過去をベースにしてないんだ。
常に「新しい未来をつくろう」という思考なんだよね。
でもさ、その素晴らしさは身にしみたけど、それじゃわたしが報われないから、どうして今の自分なのかを考えてみたんだよね。
わたしの母は育児で大変な頃、とてもヒステリックだった。
父は仕事熱心でほとんど家事を手伝わない人だった。
母の親は100kmくらい離れたところにいて、時代背景もあるけど、手伝いに来る環境じゃなかった。
今みたいに、男性も育児手伝いなさい!って推奨がある訳でもなくて、「うちの子に家事を手伝わせるなんて!」みたいな感じが主流だったんだよね。
そういう中で母はものすごくお嬢様に育てられていたのに、必死でやってたんだと思う。
結果、当たりどころのないものを子どもにぶつけてた。
当たられたわたしは、兄がやんちゃで母が困っているのをみて、ワガママが言えなくなったんだ。
そうして、わたしはどうして辛いんだろう?っていう状況を分析することで、「辛いのは仕方ないよね」っていつも自分と母を許してきた。しかも、「それならこうすればいい!」なんていうアイディアが浮かんで実行するとね、母が困ってた。「いつもと違うこと言われても対応できない」っていうだけだったと思うけど、「それは間違っている」というメッセージだったから。
その名残だったんだよね。「ならこうすればいい!」っていうのを封印するために、納得いくまで状況の分析をするしかなかったの。
だからね、この癖でわたしは自分を救ってきたんだ!って思ったよ。
わたしが生きる続ける理由を必死で確保してたんだよね。偉いよね!!そして、涙ぐましい😢
でもさ、もういい加減いいよね。
母も余裕に満ち溢れて、父に上から文句言うくらいだしさ(笑)
わたしも親の助けなくても最低限の生活できるしさ。
あの時みたいに、どうして辛いかの分析なんてしなくても、もう生きているんだよね。アイディアを封印する必要もない。
これからは、どうしたらやりたいことが実現できるのか?っていう未来志向で新しいアイディアを生かしていいんだよね。
それを感じるために、ゆいさんと出会ったんだと思うんだ!
いま、なんとなく、つまんないと思っている人たちもさ、もしかしたらそれは過去に頑張って身につけた、今はもう要らない何かを引きずってるからなのかもしれない。
涙ぐましいくらいに、生きようとした結果なんだけど、そのおかげで今があるんだけど、これからに必要なのか?は、見てみるといいかもしれない^_^
時代も変わるし、自分も成長してるからね!!
もう令和だもんね(^_^)
みんなで新しい時代を生きよう!!!
人生にスキマを
3〜4年前から自分の生き方、捉え方の何かが間違っている!と気付いて「自分を大切にする」ということについて、勉強しまくったな(笑)
その甲斐あって、緩やかに生きやすくなっていった。
でも、この直近の半年くらいが一番急激に、生きやすさを感じられるようになってるんだ。
「人生の選択は自由なんだ」というのが知識だけじゃなくて、体で分かるようになってきたの。
その秘訣は、瞑想にあったんだ。
瞑想に関しては最初は自己流で始めて、いまはお教室に通ってる。
毎日見える景色が変わって、彩り豊かに、自由になってきたわたしは、「スキマが出来たなー」っていうのを日々感じるんだ。
瞑想によって時間的なスキマをあえて作ったことが始まりなんだけど。
最初の頃は1日5分ほどの瞑想時間を取ることによって毎日リセットしていて、徐々に、「昨日と今日は別の日なんだ」という感覚が芽生えた。
もっと具体的に言うと、その頃上司が大嫌いだったんだけど、
ある時ふと「昨日嫌いだった人を、今日も嫌おうと決めつける必要はないのかも」って思ったの。
昨日嫌いだったことをリセットして、日によって好きだったり嫌いだったりしても良いんじゃないかなと思ったんだよね。
そうすると「嫌いな人」というレッテルは貼る必要がなくなって、毎日自由に選べるようになったの。
「好きな人」とか「優しい人」とかもそう。人じゃなくても食べ物でも、場所でも。
「好きな人」だからといって毎日好きでいようと自分を縛る必要はないんだよね。
それで、その毎日っていう日単位で捉えていたことが、1分、1秒単位でも問題ないんじゃないかな?となって、一瞬先ですらも選べるっていうことに気づいていったんだ。
その瞬間に感じる、好きだなー、優しいなー、嫌いだなー、嬉しいなー、美味しいなー、イマイチだなー。
そういうのをその時の五感で感じることが大切なんだなと思うようになったの。
それが、最近よく聞く「イマココ!」「いまを生きる」「いまここにいる」みたいなことなんだと思う。
「レッテルを貼る」って、そう決めつけた瞬間(=過去)を引きずるっていうことなんだよね。
そして、時間的なスキマを持ったことにより、心の余裕が生まれて、自分と向き合うことが前より手軽にできるようになった。
自分と向き合うことが手軽になってからは、起きた出来事から、どう感じるかっていう感情も、自由に選べるんだと気付いたの。
例えば、隣のデスクに座っている人のキーボードを叩く音がうるさい!という場合。
「うるさいなー!」っと感じる自分は本当なので仕方ない。
うるさいと感じた自分と向き合ってみると、もう少し細かいレベルで、自分の本当の気持ちが見えてくるんだ。
何か急かされているような気持ちになるんだな。とか
一緒にせわしない気分でいることを強要されてる感じがするんだな。とか
「わたし、忙しく頑張ってるんです!」と、アピールされているように感じて、その気持ちを受け取らないといけないような気になるんだな。とか
そうするとね、
なにか、急かされているような気持ちになるけど、ほんとにその人、わたしを急かしてるの?それは本人にしか分からないよね。巻き込まれる必要ないじゃん!とか
一緒にせわしない気分でいることを強要されている気分になっていたけど、強要なんかしてるかな?そんな不確かなことにいちいち反応しなくてよし!とか
「忙しいアピール」しているように見える彼女を、その通りに受け取らないといけないような気もしたけど、それが「忙しいアピール」なのかは、本人しか知らないし、もしそうだとしても、どう受け止めるかはわたしが選んでいいよね。とか
とにかくどう感じるか?の主導権を自分に戻してあげるんだ。
イライラする時って、たいてい思い通りにならない!!っていう気持ちからだと思うけど、こちらの解釈って、自分主導で好きに選んで良くて、どちらが正しいか?みたいな「真実」なんて本当はどこにも存在しないの。
自分って可愛いので、こうやって向き合って自分の声を聞いてもらえただけで、満足しちゃうところがあるの(笑)
だから、キーボードがうるさかろうが、そこに感じるイライラをほかの誰でもない、自分に受け止めてもらったら
「うるさいねー。余裕ない人は放っておけば良いさ!あなたの余裕で空気を和らげてあげなよ!」と、自分らしくいることに集中できるようになったりするんだよ。
いつでもどこでも、涼しい顔して、自分らしい人って余裕があって素敵だと思わない??✨
スキマ時間をあえて作るっていうのは、すごく効果絶大!!
今日やって明日効果が出るっていう即効性はないけど、積み重ねたものは裏切らないし確実だよ♡
セッションを始めてるよ!!
わたしって、なかなか腰が重いところがあるんだけど、本格的にセッションの仕事を始めていくことにしたよ♡
いや、やってはいたけど、公言していなかった気もするから改めてね。
今年に入ってからは、いつ始めてもいいっていう状況ではあったけど、メンタル面での細かい微調整が必要で、なかなか動けなかった。
最後の一押しは、本当に些細なことだったので、読んでもらえると嬉しいな😊
それは、Facebookで、大学時代の友人と繋がったこと。
大学生の頃、すごく暗かったつもりでいたけど、思いがけなく、大学時代の友人と繋がり、メッセンジャーでこんなことを言われ、びっくりした(笑)
「相変わらず、元気でアクティブだね!」
「誰とでもすぐ友達になっちゃうイメージ!」
そっかー確かに。
わたし、元気そうにしてたかもね。
好奇心旺盛だったし、人と知り合うの好きだったし、なにより怖いもの知らずだった感じはあるかな。
でも、実は外で見せている自分と、本当の自分との間には乖離があったんだ。
その乖離は14歳からだんだん始まり、36歳くらいまで続いた。
本当の自分と、見せている自分の区別もできていなかった。
元気に見せてても、不安になったり、色々細かいことを気にしてしまう自分が出てくると、どう表現したら良いか分からなかった。
その部分聞いてくれる友達もいたけど、嫌なもの見せてしまった罪悪感と戦ってたなー。
明るくて元気で友達が多いわたしも本当だったけど、罪悪感とかのネガティブな気持ちの方が記憶に残ってしまってて、過去を振り返るのが苦手だったんだよね。
でもね、生き直しを進めて、自分の統合が進んだらね、大学時代の友人に、懐かしさと愛おしさが湧いてきた。その頃の自分にも。
割と黒歴史的に扱っていた時期だけど、
「あーみんな元気かな?」
「会いたいなー♪」
なんていう気持ちが自然に湧いてきた。
不思議。
本当の自分と繋がって、自分との距離を縮めると過去の意味づけまで変わってしまう(^-^)
過去は変えられるんだなと改めて思って感動したの。あーわたしもう、ちゃんと統合できてる感じがするから、セッション始められるなと思えたんだ。
本当の自分と繋がるために、わたしはLDMという潜在意識に尋ねていく講座を受けました。
これって、わたしがなにかを教えるものではなくて、クライアントさんの内側から、本当の思いを聞き出していくものなので、クライアントさんの望みが叶うんだよね。
答えは全部自分で持ってるんだよ!
そして、わたしはLDMのファシリテーターが出来るようになってる^ ^
それと、わたしね、瞑想を始めたのがすごく良かったの。
わたしが習っている瞑想って、チベット仏教を源流に持つ、本格的なものなので、お免状をいただくまで、指導することはできないんですけどもね。
わたしが瞑想で得られたのは、「間(ま)」を持つことの重要性。
流れるように過ぎてしまう時間の中で、最初は1分でもいいからリセットする時間を持つことって大切だと身にしみて分かった。
リセット時間を過ごしてみるとね…
まず、昨日と今日は違う日なんだっていうのが理屈じゃなくて体で分かるようになった。
同じパターンに自分を縛りつけているのは、目の前の現実でも、家族でも会社でもなくて、自分自身なんだっていうことも、体で分かるようになった。
そうすると、昨日と違う選択をしてみようかなっていう余地ができて、そのうち一日単位じゃなくて、毎瞬選択のチャンスがあるってことに気付いたんだよね。
物理的なリセット時間のお陰で理屈として知っていたことが体で分かるようになった。
今まで無意識のうちに自動的に選択しちゃってたことが、ちゃんと意識に上げられて、自分が望む方向に選べるんだよ!っていうこと。
自分で自分の人生をクリエイトしてきての今だし、それがあんまり気に入ってなかったり、もっとこうしたい!っていうのがあるなら、そっちに行こうよ(^-^)っていうお手伝いをしたい。
というわけで、本格的に始動するよー!!
リセット時間の方の内容はいま、急いで詰めてるからねー♡
出会いの失敗談からの、間(ま)の大切さ
こんにちは^ ^
ゴールデンウィークいかがお過ごしでしょうか?
やっとお天気も安定してきて、5月らしい爽やかさを感じます。
今日久しぶりに、とても安定した瞑想の時間を過ごせたのです。調子は日々、様々です。
今日の安定も、無常なのでひとつの通過点。
何かに達するという考えを手放してみると、「焦り」が選択を狂わせてしまうのだなぁなんて考えています。
人生って、毎瞬、自分の選択で成り立っています。
わたし、この間パーティーでちょっと素敵だなと思う男性に出会いました。
話した感触が良くて、すごく嬉しかったのです!!
途中まで順調だったのですが…
ちょっとした、言葉の意味の取り違えから、リズムがガタガタ崩れて、、わたしは焦って選択間違いをしました。
リズムが崩れた時、彼に合わせ過ぎてしまって、自分ではない言葉で話してしまって、自分自身に違和感だらけでした。
そのまま、自分を戻すことが出来なくて、その彼と仲を深められないまま帰ってきてしまいました。
たぶん、そんなことなかったのかもしれないけど、ネガティブなスパイラルにハマってしまってチャンスを逃したなぁと思いました。
敗因はわたし自身に問題があるのでなくて、焦ったからです。
なかなか気にいる人に出会えないから。
彼もわたしのことを気に入ってくれていそうな気がするから。
チャンスを逃さないようにしたいから。
そんな思いが、空回りしたんだなぁと。今日瞑想でいい時間を過ごした結果、腑に落ちました。
改めて間(ま)の大切さを実感。
気持ちと思考の間
思考と言葉の間
言葉と言葉の間
自分の気持ちと相手の気持ちの間
物理的な時間の間
パートナーシップがうまくいっているカップルってここらへんがうまいのかもなーなんて思いました。
ゆとりを持って焦らないで、調和するって大切ですね♡
三島の家の庭に、イチゴが成りましたよ♡
5月のお庭はいつも気持ちが良いです(^^)
気がしただけ
月に一度の朝の瞑想会に参加してきました。
http://truenature.jp/tnm/tnm_news/0426.html
実を言うとわたし、、年明けから欠かさずに続けていた瞑想を、ある、普段やらないことに挑戦したおかげで色々リズムが崩れてしまって続けられてなかったのです・・笑。
この2週間ほど。
むりやり習慣を戻そうと、座ってみたことがあったけれど、ふわふわそわそわしてしまって、以前の感覚に戻れなかったのです。。
自分ひとりでは戻すのが難しかったので、みんなで座る機会に参加するのを楽しみに、そこまではもういいことにしてました。
でね、緊張しながら2週間ぶりに座った感想としては、別に全然大丈夫だったのです。
「あ、2週間空いても座れてる」
何も変わっていませんでしたよ(笑)
この2週間のわたしは
「何かが乱れてしまったような気がしただけ」
「何かが変わったような気がしただけ」
「ひとりでは戻せない気がしただけ」
そして、その「気がした」を現実にしてしまっただけ(笑)
現実は
何も乱れてないし
何も変わってないし
ひとりでも戻せた
のだと思います。
自分を戻しに行ったというより、何も変わってない、乱れてもない、ひとりでも戻せる自分を
確認しに行ったのかな。
「見て見ぬ振りをする、蓋をするというのが良くないこと。空想ではなくて、目の前の現実をちゃんと見る。ただそれだけです。」
by Shin 先生。
はぁ。。やっぱり、結局はシンプルなこと。
難しく考えすぎたり、壮大にドラマティックにしすぎちゃう自分にまた遭遇しましたね(笑)
今日の朝ごはん、バリスタが淹れてくれたコーヒーもおいしかったー^^
瞑想の仲間がいて良かった!
わたしがわたしで良かった!
今日はそんな始まり♡
人に好かれるコミュニケーションのひみつ
モテすぎちゃうのでやりすぎ厳禁ですよ!!(笑)
コミュニケーション上手な人っていますよねー!
秘策はたくさんあると思うのですが、わたしにも「ここはうまいな!」と、自分で思ってしまう無意識にやっていた秘策を見つけてしまったので、みなさんのご参考になればと思いました。
ひとと仲良くなれるコミュニケーションの秘密は「相手の世界観に寄り添うこと」です。
自分のことを表現するときに、「自分」を貫こうとすると、伝わらないことって多いのです。
でも、こちらからいったん相手の世界観に染まって、同じ温度になってから、その自分で伝えるとうまくいきます。
これ、いきなりやろうとすると難しいかもしれないのですが、まずはこんなことを意識してみるだけで、だいぶ変わります。
○同じ単語を使う
スケジュールと言うのか予定と言うのか、レベルです。「伝われば良いや」をすこしグレードアップして、意図的に同じ単語を使って話すだけで近寄れます。
○リズムを合わせる
早口な人、ゆっくりしゃべる人いると思います。
無理のない範囲で相手にリズムを合わせると好かれます。
これね、相手が緊張して早口になっている場合は飲まれないように注意ですよ!笑
そういう時はあえてこちらが安定感を意識して話すといいです。
呼吸を合わせると相手がリラックスしてくれます。
○目を見て時々逸らす
ジッと見つめる必要はありませんよ(笑)
要所要所で、目を見て時々逸らすっていうことを意識するといいですよ。
「自分の心地のよさ」を優先するで良いので、考えすぎずに感じてみてほしいなーと思います。
こうして相手を感じることを意識していくと、洞察力が身についてもっといろんなことが見えるようになり、距離を縮めたい時、逆に距離を感じさせたい時(笑)、自由自在にコミュニケーションが取れるようになります。
じっと観察するというより、五感を使って相手のことを感じることを意識すると、コミュニケーション上手に近づきます。
相手がコミュニケーション上手であれば、力を抜いて乗っかってしまえばいいのですが、あまり得意じゃないのかな?と思う相手には、こちらから働きかけてあげるといいかなーと思います。
なんでもできる人がやる、っていうのがいいですね。
お金はある人が払えば良いし、コミュニケーション上手な人は寄り添ってあげればいい。
みんな自分の得意分野を、ケチってないでどんどん出しちゃえ!!
それぞれの「得意」が循環する。
そういう世の中になればいいなーと思います。
自分の声が聞こえるまで
1年前くらいまで、「自分の声」がまったく聞こえなかった。
若い頃から「もっと自分を大切にしたほうがいい」って散々言われたけど、
どういうことなのかさっぱり分からなかった。
苦しくて自己啓発の本を読み漁る日々だった。
どの本にも「まずは自分がしたいようにすること」って書いてあった。
でもさ、「自分のしたいこと」なんて考えたことがなくて、困っちゃったよね。。
「それが分かったら苦労しないよ!!」って、本を投げ捨てたくなった。
でも、いまはだいぶ自分の声が聞こえるようになった。
うるさいくらいに話しかけてくるし、どんな時も一番最初に自分を癒すようになったの。
あんなに聞こえなかったわたしでも、できるようになったから大丈夫!
秘訣はねー
「自分に優しく、根気強くインタビューする」こと!
「自分の声」を聞く練習をするとき、
最初のとっかかりの感覚としては、
ざわざわっとしたり、違和感として残るような感じかな。
強い感情の時はわかりやすいけど、ざわざわに気づけるようになると、強い感情の出番が減るから、ざわざわから始めるのっていいと思うな^ ^
そうすると、毎日くらい練習のチャンスがあるよね!
そのざわざわの違和感の正体を、
自分にインタビューするの。
まずは自分の感じたことを受け止めてあげることから。
良いとか悪いとか、ジャッジを入れないで
「君は、そうなんだね~」と。
ただただ認めてあげる練習から。
それだけで、まずは、じゅうぶん。
できるだけ優しく受け止めてあげてほしいな。
例えば上司の言葉で傷ついた場合。
ねぇ、どう感じたの?
それでそれで?
あらー、それは大変!
そっかーそれは辛かったね。
嫌だよね、わかるよー。
せっかくだから、もうちょっと聞かせてくれないかな?
こんな感じ!^ ^
自分が自分に分かってもらえると、他の誰に分かってもらえなくても、とても安心するんだよね。
そして、それをどうにかしようとしない方がいいよ。
ついつい、凹んじゃダメだ!とか、
許さなきゃ!とかなっちゃうけどさ。
そうじゃなくて、そのままを受け止めてあげることに意味があるんだよね。
感情を受け止めてあげたら、次は起きた出来事をインタビューするといいよ。
ねえ一体何を言われたの?
その時って他にも誰かいた?
どうしてそんな話になったの??
それはひどいよねー。
それで、そのあとどうしたの?
ふーん。そっかー
こんな感じ!^ ^
でね、出来事を思い出したら、
次は「なぜ?」って自分の気持ちを掘ってみるといいよ。
ねえねえ、なぜその言葉で傷ついたの?
言葉では言われてないかもしれなけど、何て言われている気がしたの?
そうだよねぇ、そう思っちゃうよね。
でも、それってどうしてそう思っちゃうの?
それって、何か似たようなことが昔にもあった??
何か思い出したことって、あったりする?
誰にも言わないから大丈夫だよ。
こんな感じ!^ ^
自分が聞いてほしいことを聞いてあげるとね、
胸がじーん。
心がほわっ。
もしかしたら、昔に癒せていなかったことが
涙になって浄化するかもしれない。
そういう時は、泣きたいだけ泣いた方がいいよ。
こういう感覚が違和感の正体。
その感覚を頼りに探るといいよ。
これまで長く無視してた場合は、最初はもしかしたら教えてくれないかもしれないし、
どれが自分の声なのか、分からないかもしれない。
でも、根気よく続けてね!
必ず応えてくれるから。
だって本当はわかって欲しくて、
聞いて欲しくて仕方ないんだから。
「これが自分の声なんだ」って分かるようになっちゃえば、こっちのもんだ!
ここまで出来るようになると、次に同じことが起きても、悔しい!とか、悲しい!とかの前に
もう要らない!とか、
まだ悲しんでたいんだとか、
ちゃんと選べるようになるよ!
わーまた、昔の傷が癒えてなかったやつだー!
もう関係ないやつ、またまたキター!
みたいな感じで(笑)
そのうち何も感じなくなる日が来る^ ^
自分の声を聞くためには、根気よく、優しくインタビューさっ♡
まず一カ月やってみてよ!グチは聞くからさ。