やるかやらないかだけなんだよね。
わたし、めちゃくちゃイタイくらい生意気で役に立たない社員だったなぁと思う。
もちろん正義感たっぷりだったけど。
雇われていながら反骨精神むき出しで、上司に批判的っていう時間が長かったなー。
独立を考え出したのも、長いものに巻かれない自分が良いと思っていたからだしね。
処理能力は高かったし、「どうしてそうなっているのか?」という状況把握には長けてた。
でも、良くない状況から抜け出すためのアクションとしては弱くて、アイディアも乏しかったし、強いこと平気で言いながらもびっくりするくらいに動けてなかった。
解決策を出せる人が文句を言うのは、カッコいい。
でも、解決策がない人の言う文句は、正しかろうが文字通り「文句でしかない」と、いまは思う。
大きな勘違いをしていたわたしは、八方塞がりになっている状況からの斜め上のアイディアを出せないのに、ぐうの音も出ないような相手の核心に迫り、そこを責める能力だけを磨いてしまっていた。
例にもれず、いまの会社の上司のこともズタボロに責めた。
本当に、本当に、大嫌いだった。
「部下が仕事をやりやすくするのが、上司の役割なのに、あの人は上の機嫌ばかり伺っていて、動かない。マネジメントどころでない。出来ない理由を並べてやらないだけじゃないか。」
そんな風に、批判していた。
「部下が仕事をやりやすくするのが上司の役割」って、あんた何様??って感じだけどね(笑)
最近、一緒に働いている先輩でゆいさんという人がいる。
この人を見て、わたしは自分の姿勢がいかにイタかったを思い知らされるのだ。
ゆいさんは、動きが悪かったわたしたちの課に現れた救世主だった。
出来ない理由ばかりを並べてちっとも動かない上司から鮮やかに仕事を取り上げて、あーっという間に形にして結果を出してしまった。
しかも楽しげに!
彼女の仕事は、社員を喜ばせ、メディアに取り上げられ、外部指標の認定にも認められてしまう。もう、びっくりするくらいの注目度なのだ
しかも、たいそうな難しいことではなくて、すぐ横に落ちている小さなチャンスを拾って大切に育てるみたいなことで。
楽しく拾って、前向きに表現するような、誰もが真似しやすい範囲なのだ。センスは問われますがね。
異動してきた当初、出来ない上司をわたしと同じように批判していたけど、文句を言うだけじゃなくて解決策を考えて、やってしまったのだ。
しかも、ひとりでじゃなくて、わたしのことも、すごくうまく使ってくれた。
そして、「これは二人の成果だ」と言ってくれる。
成果が出たした頃、上司はゆいさんの手柄を取り上げて、乗っかり商法みたいに自分の手柄にしようとしてたけど、そんなのはすぐに化けの皮が剥がれて、彼はじきに課長を下ろされてしまった(笑)
そんな元課長は、然るべき仕事を振られて、いまでは意外にのびのびとやっていて、みんなが平和だ。下されたなんて表現したけど、そんなこと思ってないのかも。いまの方が表情がとても柔らかい!
ゆいさんの言うことがまた、シンプルでカッコいい。結果出してるのにえらぶらない。
「仕事って、やるかやらないか、それだけなんだよね」
最初は悔しかったけど、じきに感動に変わり、ゆいさんと一緒に働けることを誇りに思うようになった。いまでは大好きで、仲良し。
ゆいさんとわたし、なにが違うんだろうと毎日観察していた。
みてる視点が違うんだ。
わたしはどうしても、どうして進まないか、どんな状況になっているのかの分析に走る傾向がある。
そして、その能力は確かにすごく長けてる。
でもね、それだと今日までにあったことを意識してしまって現状から抜け出せないっていうループになっちゃうんだよね。
でもね、ゆいさんは、今日までを無視して、どうしたら出来るかを常に考えてるんだよね。
一緒に仕事をしながら、「明日が決まってないって幸せ!わたしは明日が決まってたら死んじゃうもの。」って言ってたの。
そうなの、彼女は過去をベースにしてないんだ。
常に「新しい未来をつくろう」という思考なんだよね。
でもさ、その素晴らしさは身にしみたけど、それじゃわたしが報われないから、どうして今の自分なのかを考えてみたんだよね。
わたしの母は育児で大変な頃、とてもヒステリックだった。
父は仕事熱心でほとんど家事を手伝わない人だった。
母の親は100kmくらい離れたところにいて、時代背景もあるけど、手伝いに来る環境じゃなかった。
今みたいに、男性も育児手伝いなさい!って推奨がある訳でもなくて、「うちの子に家事を手伝わせるなんて!」みたいな感じが主流だったんだよね。
そういう中で母はものすごくお嬢様に育てられていたのに、必死でやってたんだと思う。
結果、当たりどころのないものを子どもにぶつけてた。
当たられたわたしは、兄がやんちゃで母が困っているのをみて、ワガママが言えなくなったんだ。
そうして、わたしはどうして辛いんだろう?っていう状況を分析することで、「辛いのは仕方ないよね」っていつも自分と母を許してきた。しかも、「それならこうすればいい!」なんていうアイディアが浮かんで実行するとね、母が困ってた。「いつもと違うこと言われても対応できない」っていうだけだったと思うけど、「それは間違っている」というメッセージだったから。
その名残だったんだよね。「ならこうすればいい!」っていうのを封印するために、納得いくまで状況の分析をするしかなかったの。
だからね、この癖でわたしは自分を救ってきたんだ!って思ったよ。
わたしが生きる続ける理由を必死で確保してたんだよね。偉いよね!!そして、涙ぐましい😢
でもさ、もういい加減いいよね。
母も余裕に満ち溢れて、父に上から文句言うくらいだしさ(笑)
わたしも親の助けなくても最低限の生活できるしさ。
あの時みたいに、どうして辛いかの分析なんてしなくても、もう生きているんだよね。アイディアを封印する必要もない。
これからは、どうしたらやりたいことが実現できるのか?っていう未来志向で新しいアイディアを生かしていいんだよね。
それを感じるために、ゆいさんと出会ったんだと思うんだ!
いま、なんとなく、つまんないと思っている人たちもさ、もしかしたらそれは過去に頑張って身につけた、今はもう要らない何かを引きずってるからなのかもしれない。
涙ぐましいくらいに、生きようとした結果なんだけど、そのおかげで今があるんだけど、これからに必要なのか?は、見てみるといいかもしれない^_^
時代も変わるし、自分も成長してるからね!!
もう令和だもんね(^_^)
みんなで新しい時代を生きよう!!!