焦らず「魂の自分」に還るための習慣
こんばんは!
内観が習慣になってから、要らない思い込みや価値観を捨てることが楽しくなって、生活の中での違和感を見つけると、若干ウキっとします笑。
昨日の記事に書いた「上司が嫌い」っていうことには、見つけても見つけても何を捨てたら軽くなるのかが分からなくて、吐きそうなくらい向き合いました。
結局わたしは、上司を許せないんじゃなくて、誰かを嫌いな自分のことが許せなかったのでした。
あれからどんどん頭の整理が進んで、裏を返すと「誰にも嫌われたくない」っていうのを持っていたことがわかりました。
確かに「嫌われたんじゃないか?!」って過度に思うことがけっこうあったのはそのせいだったんだ。と、腑に落ちて、やっと軽くなった体感があります。
「誰からも嫌われたくない自分」がひもとけた瞬間、こんなのが出てきました。
人間ができていると思われたい。
すべてを悟りきっていることにしたい。
未熟な人間であるとばれたくない。
これは、幼い頃ヒステリックだった母が嫌で、無理に背伸びして大人ぶることを覚えたわたしが作った嘘の人格です。
「わたしは、大丈夫です」って大人ぶって母を困らせないように頑張ってました。
あの時はそうしていないといられなかったんだろうと思いますが、その頃作った嘘の人格は、お役目を終えてもう要らないんですよね。
本当にお疲れ様、「背伸び繭子」(^-^)
毎日毎日、自分の持っている違和感を見逃さずに向き合い続けると、薄皮を剥ぐみたいに少しずつ要らない思い込みが外れていきます。
そういう中で、今回みたいに時々大きいのがゴロっと取れたりします。
要らないものは全部とりたいー!!って焦りたくなりますけど、これにもやっぱり、順番があるんだと思いました。
とりたいものが取れないときっていうのは、まだもってた方がいいってこと。
引き続き焦らず、魂の自分に還っていきたいと思います。