嫌い嫌い!嫌いなものは嫌い!(๑˃̵ᴗ˂̵)

みなさん、こんばんみー(古い!w)

 

 

今日は、昨日お約束した「伝わるように伝える技術について」を書こうと思っていたのですが、書きたいことはあるんだけどなかなか乗らないので、テーマを変えてみました。

 

 

楽しみにしてくださっていた方、ごめんなさい。近日中に書きますね!

 

 

で、今日は、嫌いなものは嫌い!っていうのを書こうと思います。

 

 

ブログを再開する前、ほとんどの投稿をFacebookでしていました。

その頃は、びっくりするくらい上司が嫌いで嫌いで…

 

 

いまも嫌いですけどねww

 

 

得意になった内観で、彼の何が嫌なのかを、とことんまで突き詰めても、Facebookで「上司が嫌いなんです!」と吠えてみても、実はあまりスッキリしなかったんですよねー。

 

 

年末なんて、心の中で暴動が起きてて、顔見るたび、勤怠をやってくださいというメールが来るたび、けんか腰みたいな態度になっていました。。

上司はなにも悪いことしてないのに、、

 

 

 

週5日も会う人をこんなに頑張っても嫌いだなんて、、どうしたらこの地獄みたいな状態から抜け出せるのか…と途方にくれていました。

 

 

 

でも、今日突然その苦しみから脱出しました!

 

 

わたしね、上司を許せないんじゃなくて、上司が嫌いな自分を許せてなかったようなのです!っていうことに、自分で気付いておりませんでした。

 

 

それを指摘してくれる人いましたが、全然ピンとこなかったのです。

  

 

そんな中今日突然、インスピレーションが降りてきて解決しました。

 

 

 

わたしが上司を嫌いなのは、大切にしている感性が真逆なので仕方がないし、過度に繊細なところがあるわたしを、人間の感性スイッチを切ることで自分を保つのに一生懸命な上司が、理解できなくても仕方ないんだな。っていうことを、理解できたのでした。

 

 

苦しんでいたのは「嫌いなものがあることを許せない自分」とか、「嫌いなものを好きにならなくてはいけないのにできない」とかなのでした。

 

 

なんと嫌いな上司のことは、とっくに許せてたのです。

 

 

わたしが混乱して捉われていたのはこんな表現でした。

 

 

 

「目の前の現実は鏡。自分が作っている。」

 

 

上司のどこが嫌なのかをひたすら自分を鏡にして割り出して、痛いところもちゃんと開いて見てっていうのもしました。

上司でなくて自分にフォーカスが合ってなかったのはすごく盲点でした。

で、嫌いなものを好きにならなければいけないと思い込んでいました。

 

 

そう!何か嫌いなものがあるときは、何が嫌なのか見るのは良いのですが、嫌いな対象物を見るだけじゃなくて嫌いな自分を許してあげることも大事なのです。

 

 

「自分の嫌い」を認めることは、闇を認めることだ!と昔どこかで目にしまして、今日その真意まで明らかにしたかったのですが、、ぐるぐる考えているうちに迷宮入りしてしまったので後日に持ち越しです!

 

 

では、みなさんおやすみなさい♡

 

 

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