使命に生きていない時、人は死にたくなる

昨日、突然死にたくなってしまった・・

 

 


何かつらいことがあった訳でもなく、前の日までとても幸せな気分だったのにも関わらず。

 


いつもだったら気分が上がる動画を見ても、好きなpodcast聞いても、好きなもの食べても瞑想しても、その思いが晴れなかった。

 

 


でも、「あ!わたし今死にたい気分になってる」と認めることができたとき、その思いは徐々に薄らいでいきました。

 

 

 

死にたくなった原因は、「幸せすぎること」
もっと分かりやすく言うと「暇すぎること」でした。スケジュールの問題ではなくて「心が暇すぎる」こと。

 

 

 

死にたくなった経緯を書いてみます。

 

 

 

年が明けてから、瞑想が習慣になっています。

 

 

 

数ヶ月前に瞑想にトライしたとき、「できない!できない!瞑想できてるか、わかんない!」とパニックになりました。
その経験以来、全く瞑想にならないから「自己流では止めておこう」と思っていました。

 

 

 


年明けのある日、やはりトライしたくなって「できている」と思うことにして続けてみたら、なんと、できるようになっていました。

 

 


余談ですが「できるんだ」と決めてしまうと、できてしまうんだなーというのを学び、自信につながりました。

 

 

 

話を戻します。
実際、瞑想について調べてみると、色々な流派があって厳密に言えば色々な決まりがあるようでした。

 


でも、わたしが瞑想に求めた効果は「グラウンディングすること」でした。

 

 

それだけできればいいやー、というつもりで。


グラウンディングは「地に足をつける」みたいな意味です。

 

 


やってみると、すごく色々な良い効果がありました。

 

 

【瞑想の効果】
・前の日を引きずらなくなった。
・うっかり、インナーチャイルドと出会い、癒せたりする。
・感情を溜めることがなくなった。
・自分の中で「自分」の存在感が増した。(他人が気にならない)
・とにかくすっきりした状態で1日が始められる。
・自分を感情抜きで見つめ、責めなくなった。

・なんと恵まれた生活なんだろうと全てに感謝が湧く

 

 

 

こんな幸せな状態だったのですが、、「死にたい」というのが突然来てしまい、あたふたしました。 

 

 

 

なぜ?!

 

 


最近のわたしを取り巻く状況はこんな感じでした。

 

 

【最近の状況】

○部署内でインフルエンザが蔓延していて、皆休んだ影響ですべての仕事がストップした。仕事が暇な上に、誰もいないので何も起こらない。

○ブログが書けなくなっていましたが、それに対しても無意味に責めなかった。(むしろ書こうとすることで、自分の思考の整理の時間にしていました)

○将来に対しての不安も、毎日の瞑想の中で、耐えられる範囲に調整できている。

 

 


心の中がクリアになって、忙しくなくなって、ゆったり自分を許して、無理をしなくなったら・・最初は心地よかったのですが、心がすることがなくなってしまい、暇になったのです。

 

 


わたしの心は暇に耐えられなくなって、「自分の存在は実は悪なのでは?」という、意味のない難題を「問題」として引っ張り出してきたのです。

 

 

すごいんです、全ての意味づけを真逆にしてしまう思考の威力を改めて実感しました。。

瞑想によって手に入れた昨日までの幸せな日々ですら、悪夢にしてしまう。そして、スイッチが入ってしまうと、止められない…

 

 


「死にたくなった」を認めて落ち着いて、正気に戻ってから気がつきました。

 

 

 

「自分だけが幸せ」というのでは、満たされないんです。暇だとロクなこと考えない思考はここから、来ていたのです。思考の威力はすさまじい。

 

 

わたしは、「(死にたくならないように)スペースを埋めるために作った、暇つぶしみたいな問題」で、脳内のスペースを埋め尽くす生活からは卒業しました。

 

 


瞑想のおかげで出来たスペースは、もっと有意義に自分をグレードアップさせることに使い、いま出来る範囲で周りと繋がるために使おう。
「使命」を生きているとき、やっと満たされる。

 


「死にたい」なんて悲しいことを思っている時間、勿体ない!!

 

 

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