不安と孤独とビジネス

先日、ある方から「ベストタイミングは昨日」という名言を聞きました。

 

 

情報をそろえて、

自分の気持ちが整って、

人脈が整って、

お金が整って、

 


という全てが整ったときでは、すでに遅いのだそうです。

 

 

確かに、色々整えているうちに気持ちの熱さが消えてしまいそうな気がしますね。

あれもこれもと整えているうちに、無理なんじゃないかっていう気持ちになってしまいそうですよね。

 

 

その名言通りなら、もうわたし進めるじゃない!と思い、進んでみました。

 


すると、「誤解されるのが怖いの!」というのが出てきました。

 


それってどういうことだろう?と、

いまこれを書きながら、自分と向き合っています。

 


わたしが始めようとしていることって、目に見えないものです。

 


何か技術を教えるわけでもないし、物を売るわけでもない。

 

 


目に見えないものをビジネスにするにあたり、ある不安を持っていることに気がつきました。

 

 


その不安の根源はわたしの過去にありました。

 

 


昔、占いにはまった事がありました。
健全に楽しんでいる時期も、止めている時期もありました。

 


自分のバランスが大きく崩れた時、不健全に頼る方向に走り、それがどんどん深みにはまり、依存症のような状態になっていきました。

 

 


月に何万円もつぎ込んで、

納得がいく言葉を言ってもらって、

自分を癒していました。

もうほとんど病気です。

 


あのとき、わたし、孤独で、不安で仕方がなかったのです。

 

 

外では元気に振舞っていましたが、起きたことを何もかも不安に変換してしまうような状態だったと思います。

 


一度スイッチが入ってしまうと不安で眠れなくなってしまって、
わたしが生きていることが悪なんじゃないかとさえ、思っていました。

自分が完全に分裂していましたので、ブラックホールすぎて、誰にも相談できませんでした。

 

 

この不安スイッチって、入ってしまうと理性では止められないのです。

 


不安スイッチが入ってしまう頻度は、直近の1~2年で激減しましたが、

実は完全に消えたのはこの半年くらいのことです。

いまでは自分で、自分の不安をコントロールできるようになりました。

 


夜中の占いにはだいぶ助けてもらった部分がありますが、

実はサービスを受けながらもこんな風に思っていました。

 


「この人って、わたしの持っている『不安』に依存して稼いでいるんだなー」

 


わたしは自分の不安に依存されていることに、気がついていました。

そして、そんな占い師さんにわたしは依存していました。

 


相談しているのは自分なのに、
その占い師さんの発言に、常に強い反感を感じていました。

 


それにもかかわらず、なかなか止められなかったのです。

 


わたしにとっての占いは、根本治癒でなくて、ただの痛み止めにすぎず、

からくりに気がついてしまってからは

痛み止めにすらなっていませんでした。

 


不安や孤独は、人を狂わせてしまうのです。

 


数年前に「不安と孤独に負けない自分になるしかない」と決め、今日の私がいます。

 


そんな経験から、自分と約束していることがあります。

 

 

「人の光の部分を見てビジネスをする」
「自分の光の部分でビジネスを作る」

 

 

不安ではなくて、光の部分を見ようということです。

 


自分ができることってなんだろう?というアンテナを立てて世の中を見渡してみると、

不安な人って本当に多いなーというのを実感します。

 


かつての私みたいに。

 


そして、その不安を煽ってお金を落としてもらうようなビジネスの多さにも驚きます。

 


そのビジネスに傷ついてしまって、

疑心暗鬼になってしまっている人も、多々お見受けします。

 

 

 


残念ながら、自分が何かサービスを作ろうとして、言葉で表現をしようとする時、

不安を煽るようなものと似たような表現になってしまうのです。

 

 

不安にさいなまれ、元気がなかったとき、わたしは選択ミスをし続けていました。

 

 

だからこそ、「誤解されないように表現したい」と、考えすぎてしまうのです。

 

 

誤解を恐れて、何も書けないし何も言えなくなってしまうのです。

 

 

それが、「誤解されるのが怖い」の中身ですね。

 

 

でも、ここに書きながら大切なことに気が付きました。

 

 

あのわたしが生きるのが大変だった時、占い師さんが助けてくれたのも事実なのです。

 

 

夜中じゅう取り留めのない不安を聞いてくれてありがとう。

憎んでごめんなさい。

 

 

そうだ、そうだ。

わたし、もう「みんなの不安」から逃げたり、戦ったりしてる場合じゃない。

不安に依存するサービスをしているその人も不安なんだから。

 

 

それなら、みんなが不安にならなくてすむ、優しい世界を作ることを考えればいい。

 

 

よし、またクリアにできた。

一歩進んだぞ!

 

 

聞いてくださり、ありがとうございました😊

 

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バチェラージャパンにはまった話。

わたしはこの番組を見てから、

自分が恋愛的に枯れていることを

自覚しましたー!!爆

 

 

恋愛的にリアルから離れている自覚のある独身男女の皆さん。

   

 

バチェラージャパンを、

素直な目で見たほうがいいです!笑

 


枯れていたわたし、ちょっと目覚めたところがあります。

 

 

目を背けたくなるかもしれませんが、斜に構えずに直視すると、

きっといいことがあると思います。

 

 


恋愛中の人もももちろん、色々な意味で刺激になると思います。

 

 


さて、バチェラージャパンとは・・

 


20人くらいの女性が、超ハイスペック独身男性(バチェラー)を取り合う恋愛リアリティ番組です。

 

 

全12回のカクテルパーティーにて、

残ってもらう女子に、

バチェラーがバラを渡していきます。🌹

 

 

 

お世辞にも品がいいと言えないですし、

予告を見た人はけっこう下世話なイメージが
ついているかもしれません。

 


わたし、特に興味がなかったのですが、

知らない間に加入してしまっていた
アマゾンプライム(アマゾンの手口かしら?)を活用してみようー!

という理由で見てみたら、

はまってしまったのでした。

 

 

もう、わたし何周みたか分からない!笑
セリフ覚えちゃってる勢いです。

 


海外のバチェラーを見たことがないのですが、

日本版は、見てみると思っていたより紳士的でした。

 


海外版はもう、すっごい激しいらしいです。

 


日本版の紳士らしさは、初代バチェラーに選ばれた久保さんの個性が作り出していると思います。
(シーズン2の小柳津さんもなかなかの好青年だと思いますが、

私は個人的には久保さんが好き!)

 

 


設定として、いくら紳士的に振舞ったとしても、
女性を何人も天秤にかけるわけですから
現実と照らし合わせると、どう考えたって

おかしいんですけど。w

 


そういう設定なので、

そういうものとして見ると、

違う視点で見ることができます。

 


わたしが非常に楽しんだのは、こんな理由からでした。

 


①あれは、全員ガチでやっている!と思うくらいの真剣勝負なので見ごたえがあります。

本気のエネルギーは、伝わるんだなと思いました。

ビジネスに生かせる視点です。

やるなら全力で!と思わされます。

 


②バチェラー久保さんの人間力がすごくて、

こんな人と出会いたいと思いました!

モテる男性で、人間力が高いと女性も気後れするのか、振られ続けているそうです。

なんとなくわかるなー。

  


③美人の女性が多くて刺激になります。
肌がきれいっていいなとか、

スタイルが良いっていいなーとか、

わたしも似合う服を着よう!とか。
女性としてきれいでいることに対し、

意欲が湧きました。

 


④男性への振る舞いという意味で、

自分の「雑さ」に気がつかされました。

 

身近な男性の皆さん、これまで雑な対応をしてごめんなさい。

 


思っていることって、本人が意識している以上に周りからは見えてしまう、

というのを実感するのです。


バチェラーへの「好き」という思いよりも、自分を守る方が強いと、

気持ちが伝わらないのですね。

 

どういう人が残るか?というと、

「自分をまっすぐに表現できる」とか、

計算高いあざとさがある」とか。 


どっちにしても、強さがある人が残るんだなーと思いました。

種類の違いはあるにしても「なんとしても残るんだ」っていう思いの強さですかね。


これは恋愛に限らず、人生全般に言えることだと思いました。

 

一番強いのは、なんでしょうね?^ ^

 

⑤自分だったらどんなデートがいいのか?と、しばらく離れている恋愛のシミュレーションが
できたことも大きかったです!


豪華なデートの映像が美しくて、目の保養になります。

 

きれいなものっていいな、と素直に感動します。

 

 

⑥MCの今田耕治の話術、視点などプロの芸人の仕事ぶりに感嘆してしまいました。
やっぱりすごいんですよ。

 

視聴者、ゲスト、出演者、全方位への愛情が絶妙な毒加減とともに表現されている!

プロってすごい!と改めて思っちゃう。


⑦シーズン1も2も現実では別れてしまっているようですが、それも含めてリアルというか。

 

詳しい理由は知りませんが、自分なりに分析してみるとおもしろいです。


⑧支配人の坂東工さんがかっこいいのです。

いい声、女性たちとうまく距離を取った上での
感じの良い対応がさすがです!

 

ちなみに坂東さんも、独身のようです!


⑨美しい映像と、音楽がドラマチックで盛り上がります。

創作物としての完成度の高さに感動します。

 


どうしてこんなにはまったのか?というと、
自分のビジネス作りやら、瞑想やら・・と、

まじめに考えすぎて修行僧みたいになりかけていたわたしを

人間に戻してもらった感じでしょうか。

 


「楽しむって大事!」っていうのを再確認しました。

 

 

それにしても、久保さんに会いたい!!笑
誰かつなげてくれないかしら♡

 

 

バチェラージャパンは、アマゾンプライムで見れますよ(^o^)🌹

https://www.amazon.co.jp/%E3%83%90%E3%83%81%E3%82%A7%E3%83%A9%E3%83%BC%E3%83%BB%E3%82%B8%E3%83%A3%E3%83%91%E3%83%B3-%E3%82%B7%E3%83%BC%E3%82%BA%E3%83%B31/dp/B01MT7VOF7

 

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Facebookの投稿に超いいね!を自分でつけるわたし。

わたしって、

けっこう強い自分の考えがあるのに

ブレる(笑)

 

 

いや、ブレても主張を曲げるまではいかないんだけど。

 


「え?え?違うの?自分は間違ってないと信じて疑わなかったんだけど、

え?なんで?わたし、おかしいの?

信じられないー!」

 

 

と軽くパニックになることがある。

 

 

先日こんなことがあった。

 

 

Facebookを何気なーく見ていたら・・

 


「自分の投稿に超いいね!している人を見るとゾクッとする」

 


という投稿が。。

 

 

自分の記事に「超いいね!」なんて

普通につけちゃう私的には

ものすごいザワザワした。

 


しかも最近、この文字数だと、でっかい文字で

背景が選べる設定になるじゃないですか。

 


全力で否定されているように感じちゃった。

 


気になってコメント欄を読んでみると・・・

 


「え!そんな人いるんですか!信じられません!」
「自分の記事に超いいね!つけている人の記事は、いくら共感してもスルーします!」
「同意します!」
「最初からつけるのは戦略も感じないので意味わかりません!」 

 


などなど、投稿者と同じで、否定派続出。。

 


いたたまれなくなって、こんな風にコメントした。

 


「え、わたしは自分の書きたいことを書けたときは超いいね!つけちゃう派。
コメント欄を見ると否定派が多くてびっくりしました。
どっちでもいいじゃん、って思いつつ、否定されると気になりますねー」

 

 


平静を装いつつ、なるべく自分の気持ちに忠実にコメントしたつもりだけど
自分のコメントに対して、何かカッコ悪いなー。と、感じる。

 

 

仕方ない、このカッコ悪さがいまの自分。

と、開き直る。

 


この投稿を見たからといって、自分の投稿に「超いいね!」をつけるのを止めるほどではないものの、
どこかで「自分で超いいね!するとスルーされるのかな」「嫌われるのかな」って

気にしちゃいそうな自分が残っていた。

 

 

 

数時間経つと、「超いいね!」肯定派のコメントが出てきた。

 

 

「自分の投稿は自分という名の他人が書いているようなところもあるから、つけちゃう」
「超いいね!ついてるとつけやすいかな?って思ってさ」
「僕はつけるから、嫌だったらスルーしてね」

 


こんな感じ。

 

 

なんかこの人たち、どっしり構えてるー!

 

 

共感するものもあり、なんとなくホッとし始める。

 

 

そして、

「なーんだ。あんなにザワザワする必要もなかったし、正当性を主張する必要もなかった・・」
と感じる。

 


そう、私のちょっとダサいところは

 


「なんでなんで?私おかしいの?だってこうじゃない!」と
自分の正当性を主張しようとしてしまうところ。

 

 

色々な考え方があって、「私はこう考えている」というだけでいいのに
合ってるの?間違ってるの?と、

やっぱりジャッジしようとする癖が抜けない。

 

 

そっか。

ジャッジが入るから、ブレるんだ。

 


まあ、気がついたからいいか。

少しずつだねー。

 


超いいね!する人がいてもいい。
それが嫌って言う人がいてもいい。

 

 


誰のことも否定しない世界に住んでたい。

そのためにはまず自分が誰のことも否定しないこと。
その前に、自分で自分を否定しないこと。

 

 


自分の感じ取るざわざわって、奥が深いなー。

 

 

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崖っぷちのぎりぎりガール

崖っぷちのぎりぎりガール。

37歳独身。

貯金なし。

わたし、結局自分のやりたいことがイマイチわからないまま迷走してるーー!
(瞑想もしてます笑。)

 


もともと若い頃から自分の考えは強くあったけど、

なんだか他人の価値観に振り回されることが多く、

「自分らしく」なんて生きれない時期が長かった。

 


「主張があるのに、ブレまくる」という矛盾が生じ、葛藤ばかりだった。


長いものに巻かれるとか、感じたことを感じてないことにして生きることもできず、

 

実際に自分にはたいした力もないのに、

プライドだけはあって、

 

実は繊細で、

自己表現もイマイチで、

 

独りよがり的になって伝わらない、、

 


周りの人たちは、接しづらかっただろうな。笑
自分も苦しくて、いつ死んでもいいんだけど、なんて、思う毎日だった。

自殺する勇気がなかったのが、救い。

 


でもでも、唯一言えるのはその状況から抜け出したくて一生懸命だったってこと。

 

 

時間もお金も体力も余裕のない感覚だったので、何かを変えようにも、バッファがなかった。

 

 

もう、何もかもが、ぎりぎりでぱつぱつだった。

 


無秩序に駐車されている駐車場から、わずかなスペースを使って何度もハンドルを切り替えして車を傷つけたりしながら、広いスペースまで出てくるような感じだったなー

 


もちろん車に乗りっぱなしでもなかった。
次はどう動かせば良いのか?と、作戦を練るために、降りて途方にくれてしまうような日々もあった。

 


それでも諦めずに自分の求めている生き方を追及して、いろんな人にお世話になって、元気に前向きに暮らせるようになった。

 


傷つけまくったポンコツな車ではあるけど、
広いスペースに出てこれたところのような気がしてる。

 


借金もあったし(まだ返してる!)

決して褒められるような生き方をしてきてないんだけど。

 


そして、今度は、「何かしたい!」っていうのはあって、

エネルギーは相当にあるけど、時間やお金やスキルや人脈や・・

いま持っているものを生かしきれているか?というと、そうでもなくて、

 

結局、何がしたいのか?というのが、やっぱり難しい。

 

 

昔、料理をビジネスにしようとしたことがあった。

みんなでワイワイ飲んだり食べたりが大好きだったから、我が家のホームパーティの楽しさを伝えたかった。

 

 

料理が得意でなくて、毎日がしんどくなってしまう奥さんたちに、

ちょっとしたコツを伝授することで、

すこしでも料理好きを増やせたらいいなー

なんて思ってた。

 

 

でも、フリーで仕事をしたい意向を、心配症の親には言えなかった。

 

 

成功したら認めてくれるはずって思って、同意を求めなかったんだけど。

 

 

こそこそキッチンを使おうとすると、ものすごい怒られて、

鬼みたいな顔をした母と夜中に何度ケンカしたかわからない。

 

 

親とのケンカが悲しくて、ひとり暮らしをするお金の余裕もなくて、結局その時は諦めたんだ。

 

 

結局ね、心配症の親が…なんて言ってるけど、一番心配だったのはわたし自身だった。

夢を好きに描くことなんてできなくて、全く楽しめてなかった。

やらなくちゃ、考えなくちゃ、お金稼がなきゃ、お客さんを楽しませなくちゃ。

そんな義務感でいっぱいだったな。

 

 

 

でも、いまでも、いつかは料理の出番が来るって信じてるんだ。

やっぱり「美味しいね」っていう会話は幸せだし、美味しいものってどんな人とでも笑顔で繋がれる魔法だと思ってるから。

 

 

そのあと、タロット占いに挑戦したことあったなぁ。

メールのセッションはそこそこうまくいった。でも対面となると、応用力が見透かされてる気がしてぎこちなくなった。

 

 

わたしの言葉によって、目の前の人の人生を変えてしまうのではないかという

責任を感じすぎてしまった。

そし、わたしなんかが占うべきでないという結論になるのだ。

 

 

結局、この時も腹がすわってなかった。

なんていうか、お客さんが怖くて仕方なくなったのをよく覚えてる。

 

 

 

その後、これは最近だけど、、

LDMのセッションを仕事にしようとした。

まじめに考え過ぎてしまい、

「人の人生なんて背負えない」となってしまう。

相変わらず「楽しむ」が置いてきぼりになる。

 

 

「こんな苦しそうなわたしに聞くより、もっと確実な人に聞いたほうがいい。」

 

 

そんな風に思う。

 

 

集中して追求していくと、自分を追い込んでしまう癖があるみたい。

わたしはドラマティックに、深刻になりやすい。

 

 

心の世界の人が陥りがちなところでもあると思うけど、

結局「現実世界をより良く生きるため」に、

心の癖を直したり、強くしたりするのに、

目的と手段が、いつのまにかすり替わってしまうようなことが、あるんだよね。

 

 

心を強くすれば良いだけじゃなくて、強くした心で現実的に行動を起こさなくちゃね。

 

 

 

わたしも陥りかけたけど、盛り上がったスピリチュアルブームとか心理業界のブームによって、

 

ものすごい誤解をしている人たちって意外と多いなあと感じてる。

 

そんな人たちに、現実は一瞬で魔法のように変わるものではない、ということに気がついて欲しい。

 

夢みたいなことを言うヒーラーやスピリチュアルマスター、それからそのクライアントさんたち、みんなで本当の幸せに目覚めて、

自分の人生を悔いなく全うできるようなそんな世界になれば良いなと思う^ ^

 

結局現実を変えるのには、現実的な行動が必要なんだよね。

 

(※こんなことを簡潔に書こうとすると誤解を招くので、この件はまた別記事にしようと思います。)

 

 

ないものを追い求めるんじゃなくて、全部素晴らしいものは自分の中に備わってる!

答えは全部自分の中にあるよ、っていうを伝えていきたいって思ってるんだ。

 

 

 

何がしたいのか?が見つからないって悩む毎日だったけど、

まずは原点に立ち返り、「自分の生活を楽しんでみよう!」と、リセットした。

 

 

このところ参加してなかった、目的もないような飲み会に参加したり、

 

 

恋愛リアリティ番組(バチェラージャパン🇯🇵)にハマりまくったり(笑)

 

 

スキンケアを頑張ってみたり

ファスティングもしたなー。

 

 

いま、そんな感じ。

 

 

相変わらず、何がやりたいのかが明確に見えてこなくて迷走してる!!

 

 

でもね、ちゃんと前進もしてる。

 

 

そんな中で、また転機。

 

 

なんと、会社の業績が悪くて、わたしはこの6月をもって今の会社の契約が終了になることが決まってる。


養ってくれる旦那さんもいないし、親も年金暮らしでもう甘えられないしさ。


なんて、いまのありのままの姿を認識したくて、恥さらしちゃった!

 

 

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さー大変。

どうしましょう??!

 

良い仕事の根源

今日は、久しぶりに充実感のある仕事ができました!

 

ほんの少し前までのわたしは…

なんとなく、すべて一人でできないといけない感じがしていたので、自分のアウトプットを直されたりすると過剰に反省したり、イラっとしたりしてました。

 

 

本当に、誰のことも信用してなかったんだなぁといまなら思います。

 

 

もちろん、信用していない結果だなんて思っていなかったけど(笑)

 

 

わたしは、ダイバーシティ推進の部署にいるんです。で、ダイバーシティを体現している人をピックアップして社内イントラにインタビューを上げる仕事をゲットしたので、先輩と一緒に取材に行って原稿を書き起こして…という作業をしました。

 

 

わたしが書き上げた原稿を先輩に見てもらったのですが、先輩がグレードアップしてくれて、ものすごい素敵な記事になって本当に嬉しかったなぁ♡

 

 

わたしはその先輩が大好きで、直されたとき「わたしの作ったものを素敵にしてくれてありがとうございました😊」と本気で思い、伝えました。

 

 

そう、わたしは彼女を信頼しているし、それを素直に態度に出すので先輩もわたしを信頼してくれるのです。

 

 

今回スピード感を意識したせいもあり「完璧じゃないけど、いまのわたしにはここまでだな」っていうところですぐに見てもらいました。

 

 

ちゃんとわたしが作った土台が生かされていて、「マジメで良いけど、もうちょっと茶目っ気ほしいね!」となって、引き出すのが得意な先輩が今回インタビューした人に連絡を取って、お茶目さを引き出す対話を付け足してくれたんです。

 

 

わあ♡いい仕事ってこうして成り立ってるんだ!と、体感して気持ちが良かったです!

 

 

真面目だったし頑張り屋さんだったので、特に責められることもなかったのですが、プライドが高くて共同創造は難しかったのかもな。

 

 

要らないプライドなら捨てちゃえよ!!って他人によく思ってましたが、一番プライドを捨てなきゃいけなかったのは私だったのかもねーなんて、思ったりしてます(笑)

 

 

というわけで、いい仕事は信頼関係の上にあるんだって身をもって学びましたよ(^-^)

 

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習慣化のコツについて

何かを習慣にするって、けっこう大変です。でも、すごく重要です。
わたしはコツコツやるのが好きな人なので、習慣にするというのは自分にはけっこう大事なテーマで、取り組んできました。

 

そして、たくさん失敗をしています。

 


今回、瞑想が習慣になったときにコツが見えたので、少しでもお役に立てればと思いブログに書くことにしました。

 


コツが4つあります。

 

①動機が不純なほどいい!
②どんな小さな効果でも見つける。
③できない日は諦めて責めない。
④自分の気持ちに正直に!ハードルを下げる。

 

 

ひとつずつ見ていきましょう!

 


①不純な動機(下世話な?笑)ほどいい!


何かを習慣にしようとするときって、「人生を良くしよう!」という動機が多いのではないでしょうか。
例えば、毎日ストレッチするというのを目標にしたとき

 

・血流を良くしたい!
・やせたい!
・姿勢を良くしたい!
・全身のむくみを取りたい!
・頭をすっきりさせたい!
・よく眠れるようにしたい!


他にもあるかもしれませんが、こんな感じでしょうか。

 


確かにそれが動機かもしれませんが、「効果」を動機にしてしまうと、優等生的で苦しくなります。
優等生的になるとハードルが上がってしまうのですよねー。相当切実でない限り、常に緊張感がつきまとい習慣にすること自体が億劫になってしまうのです。

 


でも、あんまり大きな声で言いたいことじゃないですけど、その効果があったら、自分がどうなるのか?を欲に絡めて考えると良いです。


「うっしっしっし」って思う感じでしょうか。


お金だとか、欲だとか、よく見られたい!とか、自慢したい!とかさ。
そういう、あんまり大っぴらに言うのが恥ずかしい感じのやつです。

 

ストレッチを例に取ると


・お気に入りの受付嬢に、いい男だと思わせたい!
・彼にきれいになったと思われて誕生日プレゼントを奮発されたい!
・お商売が繁盛するために美しい体をSNSに投稿したい!
・初デートで彼の反応がイマイチだったから10日後のデートのために女を上げたい!
・一週間後の同窓会でいい体を自慢したい!


並べてみると、不純な動機っていうより、人として健気で可愛いものですよね。
切実さは欲に直結させると、出てきます。

「どうしても欲しい!!」という感覚になるのですね。

 


わたしが瞑想を習慣に出来たのは「第三の目を開眼して、お金が儲かる商売にしたい!」っていうことでしたよ笑。

 


ある本に「毎日この瞑想をすると第三の目が開眼して見えないものが見えるようになる」と書いてあったものを鵜呑みにしたのでした。

 


実際に1週間、10日、と続けてみると・・第三の目を開眼させるなんてどうでも良くなり、自分では想像もしなかった効果が現れて、そっちがたまらなく欲しかったものだったことに気がつきました。 

 

 

いまのところ、第三の目が開眼した兆候はありませんが笑笑。

 


わたしが欲しかったものは、「自分の脳内をすっきりさせておくこと」だったようです。

 


最初に始めた頃と形は変わりましたが、本当に欲しいものが手に入るので「誰がなんと言おうと、私は今夜も瞑想がしたい!」となっています。

 

切実に欲しいものに絡めて行動すると、意外にも欲しかったものが違うってこともわかることがあるかもしれませんね。

 

そしたらそこに柔軟にシフトすれば良いのです!

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②どんな小さな効果でも見つける


例えばストレッチをしたことで、出ている効果を見つけると励みになります。


あ、昨日より足先が冷えてないなーとか、
顔のラインがすっきりしてる気がするなーとか、
普段使わなかった筋肉が伸びて背筋が伸びてる気がするなーとか、
靴をはいた時に、いつもよりゆとりがあるなーとか

 

どんな小さなことでも良いので効果を認めてあげると心が喜びます。過程を楽しむのです。

そして、思ってなかった効果を得られることを感じ、自分には無限の可能性があることを喜んでください!

 


③出来ない日は諦めて責めない


思ったより忙しくなってしまったり、計画通りにいかないこともあると思うのですが、気にしないことです。
わたしは夜に10分ストレッチ+10分筋トレ+瞑想が習慣ですが…思ったりより、飲みすぎちゃったなーとか疲れたなーという日があり、出来ない日があります笑。


寝てしまうんですよね。

 

それでも、責めない、気にしないっていう感じです。


その代わり「やらなかった効果」を、感じるようにしています。


なんか、今日は体が重いのは、昨日ストレッチと筋トレやらなかったからだなーとか
瞑想の時間が少なかったから、すっきり感がいまいちだなーとか

 


で、今後は飲み過ぎないようにしようーとか、今日は飲み過ぎそうな日だから朝やっておこうとか、自分に調整をかけています。

 

やれなかった日は「やらなかった効果を感じる日」にしちゃいましょう(^-^)

 

 

④自分の心に正直に!思い切りハードルを下げる。


細かいことにこだわりすぎないとか、必要ないと思ったらやめていいんだとハードルを下げることも、大事です。
自分の心に正直にしていると良いと思います。

何か嫌になっちゃった、って思ったらやめればいいんですよ。
で、必要になったらまた始めればいい。
悩みやライフスタイルに合わせて形は柔軟に変えればいい。


決して自分を責めないことです!


そして嫌になってしまった場合は、「嫌」の中身を見てあげると良いです。なにが億劫なのか?ごちゃっとした部分を明らかにするのです。良いインタビュアーになったみたいに、自分に質問してあげてください。


モチベーションが続かないっていうのをよく聞きますが、効果が感じられないからだと思います。

 

・自己流になりすぎてないか?
・何かを勘違いしていないか?
・変な思い込みがないのか?

 

そのあたりを検証してあげると誤解が解けます。

 

習慣にしよう!と思った場合3週間までは続けよう!とすること自体を頑張った方が良いですが、それを過ぎたら「何年続けよう!」とか思い過ぎないほうがいいのかもしれません。


常にその日のことだけ考える。また次の日もその日のことを考える。


その繰り返し、その結果で、何ヶ月続いた、何年続いた、それでいいんじゃないかと思います。

 

頑張りすぎないで柔らかく捉えられると良いですね♡

 


でね、補足ですが、「習慣」ってアップデートできるんです!

わたしは瞑想の習慣ができてから、ストレッチと筋トレの習慣ができましたが、セットにしたのです。

すでに習慣にしている瞑想の前に「ストレッチ+筋トレ」という風にね。

 

 

嫌になったら、その習慣の変わりに別なことをしても良いし、同じ内容で中身をアップデートしても良いし、時間をずらしてもいいし、短くしてもいい。


ひとつ「習慣」の枠を作ると、応用できますよ^^

 

そのうち、毎日にリズムが出来て「自分を大事にしている」という自信がでてきます。

 

 

それが実は一番大事なのかもしれないですね♡

 

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無関心と思いやり

この週末にチベット仏教が源流の2600年の系譜を持つ、マインドフルメディテーションの講座を受けてきました。
千駄ヶ谷のTrueNatureというスタジオです。http://truenature.jp/tnm

 

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講師はDavid Nichtern先生というNY在住のmeditatorでした。
グラミー賞に何度もノミネートされるような音楽家が本業とのことです!)

 

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たくさんのことを学んだ2日間でしたが、自分の常識が覆されたことがありました。。
それは「無関心」と「思いやり」について。

 

人間関係で不和が起きたときの人間の行動バターンはだいたい3つに分類されるようです。 


その3つとは・・
①攻撃
②執着
③無関心


わたしは、嫌だなーとか面倒だなーと思ったら、いかに無関心になるかという解決方法を取ってきました。

 


それは、攻撃しないためであり、執着心を持たないためでした。「無関心」こそが最も平和な解決方法であると信じ、それをしていました。

 

 

でも、たまに言われてきました。
「繭子さんは冷たい人だ」と。

 

 

良かれと思ってしてきたわたしは、冷たいと言われる理由が分かりませんでした。 

 

 

今回、攻撃も執着も無関心も同じことであると学びました。無関心は攻撃や執着と違って姿がないので、見つけにくいのですが、同じくらい悲しい解決方法だったのです。

冷たいと言われるのはこれですね。

 


振り返ってみれば、無関心が良くないことに、心当たりがあります。

 

 

嫌いな人に無関心になると、気にならなくなるので自分が楽になります。

 


その思考パターンで生活をすると世の中に関心がないものが増えていきます。
そしてその傾向は年齢や経験を重ねるごとにどんどん強くなっていきます。

 

 

「自分に関心を持ってくれる人とだけいればいいやー。」となり、切り捨てるようになります。「切り捨てる」を続けると、どんどん先細ります。

 


見て見ぬ振りをしていましたが、自分が楽になればなるほど、閉塞的で孤独になっていくような気もしたのは、そういうことだったのです。

  

 

でもね、その目の前の嫌な人も自分も、実は常に変化をしているのです。ずっと嫌いであると決まっていなくて、好きになるかもしれません。そして、また嫌いになるかもしれません。笑

 

 

「今そう思う」という形のないものなのです。 

 


「自分」、「愛を感じる人」、「何の関係もない通りすがりの人」、「嫌いな人」、「人だけでなくて動物や、その他のあらゆるもの」に思いやりを持ちましょう、というのが、ブッダの教えなのだそうです。

 


では、思いやりってなんでしょうか?

 


これから理解が深まっていくと思いますが、わたしがいま捉えている思いやりは、こんなことです。 

 


「その人が幸せであるように願うこと。」

 


特別になにかしようとしなくていいし、好きになろうなんてしなくていい。無関心にならずにその人が幸せであるように、願うだけでいいんだ。


David先生が言っていました。

「どんな人にも思いやりの種はある。でも、見つけて育てないと思いやりは育たない。思いやりを育てましょうね!」

 


とてもいい話でした!

 

 

私は今日から意識して思いやりを育てることにしました。
冷たいと感じたら、「まゆこさん冷たい!」って言ってくださいね。

改めて参ります!

 

思いやりを育てると決めたわたしの変化がとても楽しみです♡