無関心と思いやり
この週末にチベット仏教が源流の2600年の系譜を持つ、マインドフルメディテーションの講座を受けてきました。
千駄ヶ谷のTrueNatureというスタジオです。http://truenature.jp/tnm
講師はDavid Nichtern先生というNY在住のmeditatorでした。
(グラミー賞に何度もノミネートされるような音楽家が本業とのことです!)
たくさんのことを学んだ2日間でしたが、自分の常識が覆されたことがありました。。
それは「無関心」と「思いやり」について。
人間関係で不和が起きたときの人間の行動バターンはだいたい3つに分類されるようです。
その3つとは・・
①攻撃
②執着
③無関心
わたしは、嫌だなーとか面倒だなーと思ったら、いかに無関心になるかという解決方法を取ってきました。
それは、攻撃しないためであり、執着心を持たないためでした。「無関心」こそが最も平和な解決方法であると信じ、それをしていました。
でも、たまに言われてきました。
「繭子さんは冷たい人だ」と。
良かれと思ってしてきたわたしは、冷たいと言われる理由が分かりませんでした。
今回、攻撃も執着も無関心も同じことであると学びました。無関心は攻撃や執着と違って姿がないので、見つけにくいのですが、同じくらい悲しい解決方法だったのです。
冷たいと言われるのはこれですね。
振り返ってみれば、無関心が良くないことに、心当たりがあります。
嫌いな人に無関心になると、気にならなくなるので自分が楽になります。
その思考パターンで生活をすると世の中に関心がないものが増えていきます。
そしてその傾向は年齢や経験を重ねるごとにどんどん強くなっていきます。
「自分に関心を持ってくれる人とだけいればいいやー。」となり、切り捨てるようになります。「切り捨てる」を続けると、どんどん先細ります。
見て見ぬ振りをしていましたが、自分が楽になればなるほど、閉塞的で孤独になっていくような気もしたのは、そういうことだったのです。
でもね、その目の前の嫌な人も自分も、実は常に変化をしているのです。ずっと嫌いであると決まっていなくて、好きになるかもしれません。そして、また嫌いになるかもしれません。笑
「今そう思う」という形のないものなのです。
「自分」、「愛を感じる人」、「何の関係もない通りすがりの人」、「嫌いな人」、「人だけでなくて動物や、その他のあらゆるもの」に思いやりを持ちましょう、というのが、ブッダの教えなのだそうです。
では、思いやりってなんでしょうか?
これから理解が深まっていくと思いますが、わたしがいま捉えている思いやりは、こんなことです。
「その人が幸せであるように願うこと。」
特別になにかしようとしなくていいし、好きになろうなんてしなくていい。無関心にならずにその人が幸せであるように、願うだけでいいんだ。
David先生が言っていました。
「どんな人にも思いやりの種はある。でも、見つけて育てないと思いやりは育たない。思いやりを育てましょうね!」
とてもいい話でした!
私は今日から意識して思いやりを育てることにしました。
冷たいと感じたら、「まゆこさん冷たい!」って言ってくださいね。
改めて参ります!
思いやりを育てると決めたわたしの変化がとても楽しみです♡